“知る”という事を考えること (1)

私のものと思っている物はどこまで私のものなのでしょう?あなたの命は誰のものなのでしょう?”私”はいつ始まりいつ終わるのでしょう?
こ んなことを理科や生物の授業の中で考えるなんて時間の無駄だとおもいますか?そもそも生物学自体(他の教科もですが)、なぜ勉強するのでしょうか?

でもね、例えばあなたが将来、子供を産むことになって、産婦人科に行ったとしますよね。産む前に、自分の子供がかかる重篤な病気の”確率”がわかったとしたら?あなたにはその情報を使って、産むか産まないかの判断が即座につくでしょうか?その決断に一生後悔しないと言えますか?そうした場合、あまりゆっくり考えている時間はありません。赤ちゃんはどんどん大きくなっていきますから。技術が日進月歩で進んでいる今日、この様な類の問いはあなたの人生に降りかかってくる可能性が高いのです。2013年から新型の出生前診断が日本にも導入されました。

参考: クローズアップ現代「新型出生前検査 導入から1年  ~命をめぐる決断 どう支えるか~」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3491_all.html

将来産まれる子供が病気にかかる”かもしれない”。あなたは診断が出た晩落ち着いて考えることができるでしょうか?パニックになって思考停止になりそうですか?あなたではなく、これがあなたの家族だったとしたら、自分の場合とは違った考え方をしますか?

これまでの日本の学校教育では、誰も答えを知らないような問いについて、考え抜く訓練は積極的には行われて来ませんでした。これまで開発されてきた能力とは、正解をより多く覚え、素早く適用できる能力が一番の成功への近道だったからです。

でも、今までに想定されて無いような問題が多く起きてくる時代に、私達が身につける能力は正解を覚えることだけで十分なのでしょうか?

少し時間を取って、”こんな話題についてどう考えていったらいいか。”そのこと自体を、ゆっくりと考えてみませんか?